「夜のお菓子」のキャッチフレーズとともに、全国的に知られるようになった「うなぎパイ」。
昭和36年の発売以来ロングセラーを続け、今なお春華堂を代表するお菓子として幅広くご愛顧いただいております。
ところで、浜名湖名産の「うなぎ」をテーマとしたお菓子をつくるという、当時のことを考えるとかなりユニークな発想はどこから生まれたのでしょうか。伝え聞くエピソードを少しご紹介いたします。
春華堂創業期をささえた甘納豆。昭和初期に発売し、当時としては珍しい菓子の実用新案を取得までした知也保(ちゃぼ)。これらふたつの看板商品に続き、それすら超える浜松らしいお菓子をつくりたいと二代目社長・山崎幸一は日々思案し、産みの苦しみを味わっておりました。そんな中、旅先でのふとした会話がきっかけで歯車は大きく動き出すこととなります。旅先の方に「どこからきたか?」と聞かれた幸一社長は「浜松」と応えます。しかし、相手にはどこか伝わらず「浜名湖の近くです」と補足すると、相手が「ああ、うなぎの美味しいところですよね」と返されたそうです。この何気ない会話の中に、幸一社長は「うなぎパイ」創作への大きなヒントを得ます。
浜松はまだ知名度はなく、有名なのは浜名湖。そして浜名湖といえばうなぎなのだ。うなぎに浜松らしいお菓子創作へのヒントを得た幸一社長は、旅先から戻ると早速「うなぎがテーマの浜松らしいお菓子をつくろう」と職人たちと試作をはじめます。職人たちが思い思いのものを作る中で、当時まだ珍しかったパルミエというフランス菓子のパイを基本に試作を行ったものがおりました。そう、それが「うなぎパイ」試作の第一号です。ただ当時、洋菓子やパイ菓子ですら珍しいなか、魚介類である「うなぎ」をテーマにしたお菓子などおそらく日本中探してもあるはずもなく、すべてが手探りの中の挑戦でありました。
まずはうなぎのイメージをお菓子の形状に活かそうと試作にとりかかります。生地を細長くしたり頭をひねったりしたところ焼き上がりが安定しない。そこで蒲焼き風にしてみますが、今度は串が抜けず食べることができない。さまざまな試行錯誤を重ねる中で現在の「うなぎパイ」の形状ができあがったのです。また実際の蒲焼きさながらにタレを塗るという工夫も施されました。お菓子ではまず使用することのないガーリックが入ったこのタレは社内においても秘伝として、いまもなお、一部の職人のみに伝えられています。さまざまなアイデアを盛り込んで「うなぎパイ」はついに完成したのです。